初めまして、
”頑張りすぎ”を手放すだけで、沈んでいた心が前を向き、
新たな出会いや環境を創り出せる
心のセカンドライフカウンセリング
心理カウンセラーの香村 有花(こうむら ゆか)です。
幼い頃から自分が出せず、親の決めたことを忠実にこなし、だけれども褒められない。
そんな中、唯一心の支えだった大切な人を自ら手放してしまった(と思い込んでいた)ことから、その心の穴を埋める先が異性になってしまい、共依存に。
裏切られ、傷つけられるばかりなのにどうしても求めてしまう・・・私を必要としてくれる人があってこそ、それが私の存在意義であると思っていました。
沢山の経験をしての学びを活かせず、結婚・子供4人の出産・・・そして離婚・・・
さらに様々な経験を通し、自分を変えたい一心で心理学などを学んだ結果、アダルトチルドレンであったことも原因だったとわかりました。
そして、今現在はというと、自分との対話を繰り返し、自分にとって大事だと思い込んでいたけれども必要ではなかったことを手放し、すっかり自分を取り戻し、4人の子供をシングルマザーとして育てつつ、賑やかでとっても楽しい毎日を送っています^^
”辛”い道だったとしても悩みを打ち明け一緒にどうしていくかを考えられる”一”人が増えるだけで”幸”せになれることがあります。
今悩める方々が前を向いて、たった1度のかけがえの無い大切な人生を、希望を抱いて送ってほしい。
そんな想いを持ってカウンセラーとして活動しています。
カウンセリングはカウンセラーとの相性が大切だと思っています。
ぜひ詳しいプロフィールを掲載しておりますので、ご覧いただき、
お申し込みください。
私の経験と知識を持って寄り添うことで、あなたの毎日が明るい希望に満ちたセカンドライフになるよう、全力でサポートいたします。
頑張っても頑張っても認められなかった子供時代
家庭には無関心そして無頓着でだらしのない父と、ドライで完璧主義の母、母似で母に好かれた大人しい弟、そして祖母の5人家族で育ちました。
かけっこで1位を取っても、勉強を頑張っても、習い事で進級しても、頑張っても頑張っても褒めてもらえず、悪いところばかり指摘される。
「お姉ちゃんなんだから」「女の子なのに」「なんであんたはそんなにだらしないの」「また進級して帽子買い替えなの?」
そして、「どうせあんたは続かない」「あなたにはできない」と否定される。
「本を読みなさい」と散々言われるので、読んでみたらハマってしまい四六時中読書をしていると、今度は「本ばかり読んでないで」と何処か矛盾する。
弟には優しいのになんで私だけ?
3ヶ月から保育園で家に居ても相手にされず、お姉ちゃんとしてちゃんとしなければならない。いつしか寂しがりやになった私は、母の理想には頑張っても辿りつかず、褒めてもらいたいのにそれが叶わず、弟には優しい母を見ては母に対する反発を募らせていました。
父のようになりたくない。けど片付けは苦手・・・やろうと思ってたのに、その前に指摘された。やろうと思ってた。って言ったってまた怒られる。言い訳ばかりと呆れられる。
また言われた・・・なんでできない?私はダメな子?私って必要ないんじゃない?とどんどん思い込んで行きました。それでも、褒められたいから頑張る。空回りの毎日を送っていました。
そんな中で私には逃げ場がありました。
それは唯一私を認めて、必要としてくれた祖母の存在でした。
大切な支えを失い、自分をも見失った学生時代
祖母と暮らした平穏な日々
小学生に上がってからは、祖母は敷地内の別棟に住んでいたため、殆ど寝る時も祖母宅にいる状態が続きました。
夜にトイレに起きると必ず付いてきてくれて、ホットミルクを飲ませてくれる。そんな祖母でした。
お友達の来訪も多く、周りにお年寄りが多くいるのが当たり前の生活。
今でも掘りごたつのある家や、古い家を見るとふとあの頃の記憶が蘇ります。
買ってって言ってないのに、毎日増えている私の好きな食べ物のストック、ストーブの上で鳴るやかんの音、台所から聞こえる包丁の音、鏡台で髪を整える祖母の姿、にっこり笑う笑顔、「ゆかちゃん」と呼んでくれる声。
必要とされるのが嬉しくておばあちゃんが居たから私が存在している。そんな感覚でした。
心臓の弱い祖母の助けとなるならとお手伝いもしていましたし、入院をすると毎日お見舞いに行き、病室すべての人に配膳の手伝いや話し相手もしていました。
中学生の思春期と後悔そして堕ちる始まり
中学に上がる頃には入退院を1年に2回くらいはする祖母でした。それでも部活をしながら毎日のお見舞いは欠かしたことはありませんでした。
だけど、中学3年生の冬。
初めての彼氏ができたことをきっかけに、毎日のお見舞いをしなくなりました。
毎日が楽しかったし、どうせすぐ退院するだろう。そう思っていたんです。
母から「おばあちゃんがゆかはどうした?」と毎回聞かれると聞かされ、退院1週間前にその時は初めてのお見舞いでした。
特に謝ることもせず、もうすぐ退院だね。なんて笑顔で話をしている最中に最悪の出来事が起こりました。
突然焦点が合わなくなり病室のベッドの上で倒れた祖母・・・・そのまま意識は戻らず他界。脳梗塞でした。
さっきまで普通に話をしていたのに、退院1週間前だったのに・・・・私が毎日今まで通りお見舞いに行っていたら死ななかったんじゃないか?逆にもし行かないまま退院の日を迎えていたらまだ元気だったんじゃないか?
あんなに毎日私を呼んでくれてたのに無視してしまった。
ー私のせいー、ー私が殺したーそう自分を責めました。
今まで散々心の隙間を埋めてくれた人、誰よりも大切な人、私をわかって必要としてくれる人、私が介護をするのが当たり前だと思っていたのに、私はなんてことをしてしまったんだろうか・・・
心に空いた穴は想像以上に大きく、自分を傷つけることも増えました。後を追う。ことも考えました。
毎日毎日突然のことに頭は追いつかず、眠るとすごい形相の誰だかわからない老婆が追いかけてきたり。(祖母だと思いました。)
そして、ぽっかり空いた穴を埋めたくて、寂しくて寂しくて、誰かに居て欲しくて、恋愛依存になりました。
恋愛依存の始まり
元々自分の存在意義を見出す対象が他者だったこと、不満や非難は大体自分自身に向ける性格から、何をされても怒ることはせず、むしろ「私がこうだったから」「私がもっとこうしていれば」と言うことが通常運転。
必要としてほしいから尽くす。嫌われたくないから無理でも言われたことを聞く。呼ばれればすぐに会いにいくし、常にニコニコ、相手の出方を伺っている。自分は悪くないのにすぐに謝る。常に携帯と睨めっこ。
こんな状態がしばらく続きました。
それは相手にもわかるのでしょう。こいつは平気、何しても怒らないし。と完全に2番目気質になった私によってくる人は大抵妻帯者か浮気者でした。
そして、自分からは切ることもできず、切られれば寂しいからまた彼氏を探し、すぐにのめり込む。
こんなことをしていても幸せにはなれないことは分かっていましたし、こんな自分のない自分だからいけない。とも思っていましたが、中々抜け出せない。また捨てられた、コロコロ変わる相手に心がおかしくなりそう、でもやめられない・・・悩み苦しむ日々でした。
自分自身を失って、今思えば扱いやすい遊びやすい、安い人形のようだったのかもしれません。
心の安らぎが訪れた平穏な日々、再び
そして2年後の高校2年生の冬、私に自信を与えてくれ、叱ってくれ、心配してくれる人と出会いました。
友達の紹介で知り合った彼は、バイクが好きで、正義感も強く、沢山会ってきた男性とは違い、当時やさぐれていた私を立て直そうと接してくれました。
恋愛依存に陥る中で友達と疎遠になり孤立しがちだった私が、グループで遊ぶようになり、相談に乗ってくれたり怒ってくれたり兄のような存在になりました。
2度目の大切な人の喪失、浪費による逃避
少しずつ自分が出せるようになって、短期大学に入学し、春の気持ちいい季節、キャンプを計画していた時期の夕方でした。
彼の自宅にもよく遊びに行っていたので、ご両親とも顔見知り。その彼のお父さんから連絡が来たのです。
「ゆかちゃん落ち着いて聞いてね・・・〇〇が今朝・・・」
バイク事故でした。
また・・・なんで私じゃないんだろう、私が死ねば良いのに・・・
私とまともに関わると人は死ぬのか?なんてことまで考えるように。
もう何も考えられない。やる気も起きない。なんで生きてるのかわからない。
どうして大切な人が目の前からいなくなるのか・・・
どうして良いかわからなく、友達から慰められてもイライラする。
私の気持ちなんかわからない。と遠ざけてしまう。
そしてまた、孤立していった私が次に迎えた逃避先、それは浪費でした。
自分を取り戻した社会人時代
返済のために働き倒した1年間
そんな中なんとか自分を保とうとはしていました。
親の勧めで入った保育科の短大を初めて親に反抗し退学、祖母が亡くなる前からずっとなりたかった、亡くなってからは祖母の代わりに恩返しするために就きたかった職、「介護職」に就くべくスクールに通いました。
親には頼るつもりもなかったので、働きながらスクールに通い、老人保健施設で働くことができました。でも浪費は治らず、収入があることでさらに借金が増え、どうにもならなくなってから、真剣に考えました。
このままでいいのか?祖母と彼が亡くなってしまった現実、そんな2人が今の私をみたらどう思うのか。今のままじゃまずい。
そう思い、必死の抵抗が始まりました。
施設で働きながら、借金返済のため夜の仕事を始めました。
仕事を終えて次の日が遅番や夜勤だったら出勤、夜勤終わりの2日間休暇も出勤、働き通しの日々でした。
その中で出会った人々、尊敬すべき人々
今思うと私はとても恵まれていたと思います。目をかけてもらった方から話を聞いてもらったり、成功者のマインドを見聞きすることが多かったからです。
世の中なんて不公平だ。どうして私だけ。なんで私ばっかり。いつしか不満ばかりになっていた心も、そんな方々に出会えたことで自分が再度少しずつ変わっていく感覚もわかりました。
なるべく自然と関わるようにしました。夜の海へ行って、星を眺めてみたり、山に登ってみたり。
また、その頃から自己啓発本や哲学本なども読み漁りました。
介護をしていると、様々な生い立ち、環境の方とも出会います。
私から見たらスペックが高いのに、人生の生きづらさを感じている人、もちろんタダの遊び人もひどい人だなと思うような人も。良くも悪くもたくさんの人と出会いました。
多くの人と関わる中で自身を客観視することができるようになったのです。
自身を客観視していく中で、得ていて忘れていたこと、成し遂げていたこと、周りの環境、一言勇気を持って声を出せば助けてくれる人々。見えていなかったことが広がりました。
頑張りすぎると今しか見えないんですね。がむしゃらに高い壁を登っていても目の前の岩しか見えない。
でも1歩、2歩、3歩下がってみると、登るまでの工程が想像できるようになるものなのかもしれません。
リバース!!脳内支配された結婚生活
夫との出会い・妊娠・結婚
順調に過ごして、介護もいいけど経験を積むために普通のオフィスでも働いてみたい!と思って医療機器卸業者へ営業職として転職をし心機一転!!頑張ろう!!と思っていた時でした。
上司から熱烈アプローチを受ける日々・・・
最初は全く相手にしていなかったのですが、愛されるって怖いですよね・・・
元々の気質が顔を再度覗かせました。仕事もできて、12歳年上、愛するより愛される方が女性は幸せになれるって〜!!なんて友人からの話もちらほら・・・
12歳年上。。。子供が好きで欲しいと言っていたので、多分結婚だし年的にすぐ子供だろうとは考えました。
うーん・・・2ヶ月様子を見て、お付き合いを承諾してからが早かったですね。
なんだか、あれよあれよと言う間に’’妊娠’’ ’’結婚’’
当時お付き合いする際に心づもりもしていたこともあり、それはそれで幸せなことには変わりなく、転職半年後には寿退社。
あまりにも交際期間が短く色々なことを見逃していることに気づきもせずに、幸せな?結婚生活がスタートしたのでした・・・
自己中と束縛
徐々に不穏な雰囲気を醸し出してきたのは第一子が産まれてから。元々営業職で毎日のように接待でいない日々でしたが、酔っ払うと暴言、体の要求、圧力で物を言わせない。
機嫌を損ねると無言で物に当たり音による圧力・・・
営業職だからという気はありませんが、言葉を捲し立てて「うん」としか言わせない。後々よくよく考えれば言わせられた!!とわかるけど、その時は無言の圧力なのでしょう。脳内では何も考えられなくなるし、全部正論に聞こえたりするのです。
そして毎日欠かさず入る確認メッセージ・・・束縛型
とはいえ、あまり家に居ない夫だったので私がいっとき我慢してなんとかやり過ごせばいい。子供もいるのだから離婚はできない。そう思っていました。
そして、第二子出産後、毎回出産の度に怪しい影がちらほらするもここも離婚はできないし、言っても上手く誤魔化され謝ることはないだろう。私が我慢すればいい。と感情に蓋をしました。
そして、このまま専業主婦ではダメだ。とどこかで危険信号が出たのでしょう。第二子出産後すぐに訪問介護事業所へ就職しました。
就職してからも強くなる束縛、脅迫観念、心配という名の夫の自己愛
毎日終業時間ピッタリか、少し前に「終わった?」Line。返信しないと「?」のスタンプが何個か、終業10分もすぎると「まだ?」のメッセージ・・・1度か2度は言葉で伝えましたが、心配なんだよ。で終わる。
早くメッセージ返さないと・・・また何か言われてしまう・・・スタンプを見るのも嫌・・・とにかく早く帰ってこい。と言わんばかりのメッセージに常に強迫観念に囚わられ、早く帰らないと・・・と自分を急かすように。
自転車通勤なのに次々入る夫からのメッセージに返信しないと、また来る。
でも自転車を停めたら帰宅が遅れる。
信号無視、スピード出し過ぎ、ながら運転・・・いくら気をつけていても、もちろんこんなことをしていたら事故は起きます。
単独で転ぶこと数回、人とぶつかってしまうことが1回。人を巻き込んだ時に帰宅してそのことを伝えたら、夫から出た言葉は「あぶねーな。」の一言でした。
その時に初めて気づいたこと。それは『この人は私が心配。なのではなくで、自分のことが心配なだけ』と言うことでした。
言葉の中の矛盾・自己中・モラハラ気質
何か決断を迫られたときには、「お前がやれるならいいんじゃない」と失敗した時の逃げ道は全て私。
相談したところで相談にならない。
全部仕向けておいて失敗すると、「俺はあの時反対したよね」「大丈夫って聞いたよね」「なんでできないの?」「俺は聞いてない」「相談しないよね」
なんでも人のせい。とはこの事です。
子供が好きで保育士になりたかった。子供が4人欲しい。夫は交際時そう言っていたので、4人産めば何か変わるのかも・・・。と淡い期待を抱くも、外面はいいのでいい父親ぶり愛想良く振る舞うも、家ではずっとスマホ。
食べている時もスマホ。私が仕事だとすぐに実家。公園に連れていくのはいつも祖父。
お風呂に入れてくれることもあるが、すぐに呼ぶ、出すときに嫌な顔を向けてくる。
保育士になりたかったのでは?と驚愕するほどでした。
権力と財力を手にした天狗
結婚6年目、会社を辞め夫が独立しました。
そして社長になり、権力と財力を手にしたことで鼻がどんどん長くなるのでした。
2人の子供が小学生になった頃、独立したこともあり飲み会が激減。やっと家族の時間ができ、もしかしたらいい機会になるかもしれない。そう思っていた時でした。「PTA会長になってきた」と。
行かなくてもいいんじゃない?と思うような話し合いにも参加、以前と変わらず家にいない日々。
帰ってくるとどっしり座りスマホと睨めっこ。子供が暴れると「うるせーな!!」舌打ち、酔っ払って帰宅して思うような反応が得られないと「なんだその態度」とど突く、蹴る。
成績が悪いと「俺はPTA会長なんだからお前らが成績悪いと恥ずかしい」と言ったり、娘が色々言うと「ウルセェクソ女」と言ったり。
上2人の子が少し大きくなると、子供に暴言、手を出すことが増えていきました。
弱いものにしか強気になれない可哀想な男ですが、そんなことにはまだ気づけず・・・
夫はどんなに遅くなろうが朝帰りであろうが好きなことをしているのに、私は18時までという限られた時間の中で仕事を築き上げながら、育児も家事も仕事も夫の世話もせねばらなず、第三子、第四子は産休もほとんど取らずに動き続ける毎日。
飲みにいくと言った日はさらに子供たちにも気を使います。帰宅する前に寝かさなければ・・・と
どんどん自分を追い詰めていきました。
頑張りすぎて体に変調が
子供が4人いるから、世間体が、親になんて言われるか・・・相談もできない状態で、どんどんがんじがらめになり、第4子が生まれて少ししてから突発性難聴と顔面麻痺を発症。重症となり入院。
入院してからも、夫は淡々とこなしていきます。子供も言うことを聞いているようで、なお何故私だと子供たちは大変なんだ。私の能力不足なのか?とさらに落ち込む日々でした。
(後々気づいたことですが、夫の圧力により、子供たちも自分らしさ、子供らしさを出せずにいたようです。休みの日は殆ど実家に預けっぱなしだったとか)
退院後はいなかった反動か、さらに甘えん坊が増して4人の子は中々離れてくれなくなりました。
天狗の俺様が下した決断
結婚10年目急に俺様が加速しました。「お前には我慢できない。お前は何も相談しない。」理不尽に「お前が全部悪い」理由を問うても「理由なんか腐るほどある。もう我慢できない」「離婚しろ」と言うように。
私は仕事で夜遅くなる日が月に1回程度、その他結婚してからは夜に出ると怪しまれるので、親しい夫も知っている人に前もって許可を夫に取ってもらってから一緒に出かける等、夜間に自分の都合で出ることも年に1.2回あるかないかですし、我慢できなくさせている程のことをしている自覚はありません。
話しましょう。と言う割に全く何も話してこない。
なのに、毎日メッセージでは強気。
何かおかしいと思う前に日々の疲れと共に神経は崩壊し、3ヶ月で12キロ痩せ、「もうめんどくさい、死にたい」と思うように
車を運転してボーッとしていたり、アクセルを踏みすぎる行為をしていることに気づき、もうダメだ。
と初めて心療内科へいきました。
診断は”うつ” そして脳波を調べると、普通の人より60倍ストレスを受けやすい体質。とのことでした。
その頃、夫の行動が何から来ているのかが明らかになりました。”不倫”でした。
夫は一番子供を一番傷つけてしまい兼ねない人物と不倫をし、相手を自身の会社にまで入れ、子供が会社に遊びに行った時も子供を怒鳴って追い出す。などをしていました。
そして、私にバレないように、私の責任で離婚をしようと企てていたのでした。
頑張り続けることをやめ、取り戻した自分らしさ
初めてのカウンセリング
今まではずっと「心療内科」や「カウンセリング」と言ったものは避けていました。
世間体や、弱いと思われる、まだまだそんなところに行くぐらいではない。同情されたくもない。
そもそもどうせ聞くだけでしょ?他人に話したところで何か変わるわけない。そう思っていたのです。
今まで幾度となく心が壊れずにいられたのは、運よくその時々に現れてくれた人々のお陰でもありました。
でも、その当時密閉されていて、相談するにも夫にバレる危険もあり、子供も4人いた事から藁にも縋る思いで、カウンセリングのドアを叩いてみました。
最初に思ったこと・・・それは「もっと早く行っていればよかった・・・」でした。
結婚後抱えてきた苦悩を語ることで、徐々にごちゃごちゃになっていた思考が整理され、客観的にみた上で何が正しいのか、まずどうしたらいいのかが明確になりました。
そして、全て受け入れてもらうことで、自分が今まで育ってきた環境にも影響されていたこと、それらを受け入れ、少しずつ囚われていたことを解き放つことで自分に自信がつきました。
「暗示」「依存」「支配」から解放され、自分軸でいられることの素晴らしさを知りました。
また、その時出会った探偵の方もとても親身にしてくださり、不倫する側の心理なんかを教えてもらうことでさら不安はなくなりました。
そしてあんなに支配され、依存していたのか・・・と理解し、解き放ってからは1つ1つ確実に自分でもびっくりすくるくらいの行動力で夫の悪事の証拠を掴み、1ヶ月で引っ越し先を探し、夫が知らない間に荷物をまとめ、子供にも話し、引っ越し屋を使うリスクとコストを取らずに車を借りて引っ越し作業。引っ越しに2日、見事にバレずにすっからかんにしておさらばをしました。
解放され行動することで舞い込んでくるもの
自宅にいた時は不安の方が大きく、解放された時のことなんて考えていませんでしたが、
色んな不安や葛藤はあったけれど、一大決心をして行動に出て、解放されたあの日。
そこからこんなに世界が変わるんだ!!と感じるほど、外の景色もキラキラ見える。なんだか、こんな明るい世界にいたんだ。と思えるように。
よく漫画やドラマで描写されますが、ほんとにあるんです!!
自分軸で行動すること、幸せになること(今の自分を変える)を覚悟することで、自分に運を向けることができると実感しているのは、その後から出会う人や、元々あった人間関係にも変化が生じたことです。
しっかりと関係を築けていたと思っていた人が実際はそこまででもなかったり、疎遠だったけど物凄く応援してくれたり、人間関係も整理できた部分があったと思っています。
その頃から仕事等にも変化が訪れ、新しい仕事や、さらにまた新しい人間関係も舞い込んできました。
一番大きいのは子供も私も笑顔が増えたことです。ビクビクしていた生活から解き放たれ、子供たちもイキイキとしています。学校のことや、保育園のこと、くだらないことも子供の口数が物凄く増えました。
それが何よりも行動したことで、手に入れられた嬉しい出来事です。
今悩めるあなたへ
私がカウンセリングを受けて手にしたもの
自己啓発本や哲学本は沢山読んできました。でも結局は悪循環のループから抜け出せず、気づいたらドツボにハマっていることの繰り返しでした。
カウンセリングを受けることで一人じゃない。と言うこと、一緒に考えてくれる人がいる安心感。
何よりも悪循環に入り始めたことに気づかせてくれ、それを自分でも気づけるようになっていけるようにしてくれたこと。それによりどんどん考え方がかわり自分が変わっていける。と言う素晴らしさを手にしました。
そして、心の自由、心のセカンドライフを手にしたことで私の夢も増えました。
私と同じような経験や悩みを抱えている人を助けたい
これが新しく増えた夢の1つです。
カウンセラーの方と出会えたことをきっかけに、カウンセリングについての勉強をスクールに通い学び、
習得しました。
そして、
・パートナーを好きで好きでたまらないのに不安しかない
・実らぬ恋にどうしてもハマりやすく、相手に振り回されて辛い
・パートナーとの連絡が心配でスマホが手放せない、仕事が手に付かない
・夫婦関係でいさかいや不安が絶えない
・不倫等結ばれない相手との恋愛しかできない
・離婚後が不安で前に一歩踏み出せない
・関係修復をしたいけどどうすればいいかわからない
・いつも自分ばかり責めてしまい、苦しい
・自分に自信がない、自分が弱いと思ってしまう
・頑張っても頑張っても満たされない
・嫌われたくなくて自分を犠牲にしても相手に合わせてしまう
・自分をストイックに追い込みがち
・恋愛・親子依存
・モラハラを受けている
こういった悩みをお持ちの方に、私の経験と知識をもとに、どうしたら頑張りすぎずにいられるのか、新たな環境に身が置けるのか、良い人間関係が築けるのかを現在お悩みのあなたと共に導き出し、悩みの中にいるところから一緒に抜け出して新たな自分と素晴らしい人生を再スタートする。
本来の自分の特性と、メカニズムを知りながら、悪循環から善循環へと移行してがんじがらめの自分から解放できること。
そして、セカンドライフで生き生きと輝いてもらえる。
私のカウンセリングを通して、そんな方々が増えたらいいなと思っています。
最後に
良い方向に変わることも覚悟が必要です。助けて!!とヘルプを求めることも勇気が必要です。
でも、求めれば、行動すれば必ず変化は訪れます。
あなたの人生は、誰に左右されるものでもなく、あなたが幸せだと思える人生であるべきです。
助けを求めるのは弱さではなく”変わりたい”と思うあなたの勇気の第一歩です。
振り返った時にどんなに辛いことでも、その経験には必要性があった。だから今の自分がいる。
と胸を張って生きていける第二の人生の始まりにしましょう🍀
今”辛”い道だったとしても悩みを打ち明け一緒にどうしていくかを考えられる”一”人が増えるだけで”幸”せになれることがあります。
たった1度のかけがえの無い大切な人生を、希望を抱いて送っていけるよう、私の経験と知識を持って全力でサポートいたします。